ニュース 菅平高原実験センター赴任にあたっての抱負 鈴木 亮 2009年4月 植物は、一度根をはるとその場所から動けないため、根付いた場所の環境にどっぷりとつかった生き方をしています。動物が来ても、強い雨風にさらされても、どんな状況でも、そこから逃げることができません。でも私は、そんな植物の生き方を辛そうとは思えず、むしろちょっとあこがれすらも感じています。“動かない”植物はどんな生き方をしているのだろう、それを知りたくて私はこれまで植物の研究をしてきました。 植物が魅力的に思うのは、彼らの生き方がかなり偶然に左右されていそうに見えるからです。まずどこに根付くかも偶然できまり、その後の生き死にすらも偶然によって一瞬に決まったりします。でもその偶然がたくさん集まるとある法則性が見えてきたりします。そういう現象を専門用語で言うと「確率論的現象」と呼びます。これは生物に限ったことではなく、空気中の分子の動きでも、サイコロの目でも、いろいろなところでみられます。サイコロの目の場合、毎回どの目が出るかは偶然ですが、1000回くらい振るとどの目も一定の確率で出てくるという法則が見えてきます。話を植物に戻すと、植物の生き方も個体ごとに見ると偶然で決まる部分が多くても、それが集団で見ると特定の季節や場所で生きやすいといった法則性が見えてくるのがとても面白いことです。 しかし、生物のさらに不思議なところは、偶然に起きたまれなことがときとして大きな変化を与えてしまう点です。そのもっとも典型的ものが、突然変異という遺伝子の偶然の変化がもたらす生命の進化です。生命現象には、確率で決まる法則を変えてしまう生物特有の法則とでも言うべきものが働いており、その法則を証明することが生物学者の究極的な目標である気がします。 私は、偶然と確率に支配される植物の生き方の中から、確率論的現象を変えてしまう植物の動きとは何か、それを探し求めています。自分の運命が偶然で決まるとなると私だったら不安でたまらなくなりますが、植物を見ていると「そんなのおかまいなしさ」という寛容さを感じることがあります。そんな植物の寛容さにも魅力を感じてなりません。センターでの数年間、毎日植物を見つめ植物の生き方と寛容さを学びたいと思っています。 |
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