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構想と沿革 当実験所は冷涼な高原地帯の生物や地理を研究する目的で、1934年10月12日に東京文理科大学附属菅平高原生物研究所として開設されました。(開設当時の建物) 当初、ここでの研究は、中国北東部と似た気象条件を備えた菅平での農業生物の基礎的研究を目指していました。この計画は、当時農林省の技師であり東京文理科大学非常勤講師でもあった八木誠政博士により推進されたものです。本センターはこれらの研究と同時に、東京文理科大学、東京高等師範学校の教官による動物学、植物学、地理学、地質学などの研究や学生の野外実習・野外実験などに利用されていました。 1949年には学制の改革にともなって東京教育大学理学部附属菅平高原生物研究所と改称されました。さらに1965年には官制がしかれ、名称も東京教育大学理学部附属菅平高原生物実験所となり、植物育種学の研究、つづいて動物発生学の研究が行われるようになりました。1969年には現在の鉄筋コンクリートの教育研究棟(A棟)・宿泊棟が建設され、野外実習や研究のための施設としてさらに整備されました。また1955年より造成が続けられてきた樹木園も立派な樹林の姿をなしてきたので、1975年から一般公開を開始しました。 1973年10月に東京教育大学の筑波大学への移行にともない、1977年4月に本実験所も筑波大学に移管され、筑波大学菅平高原実験センターと改称されました。これにともなう学生数の増加により、1979年新たに教育研究棟(B棟)が増設され、現在見られるような規模となりました。(現在の建物) 2013年8月には文部科学省教育関係共同利用拠点「ナチュラルヒストリーに根ざした森と草原の生物多様性教育拠点」に認定されました。認定期間2013年8月2日〜2018年3月31日。 2017年4月1日、農林技術センター演習林部門(筑波実験林、八ヶ岳・川上演習林、井川演習林)と統合し、新たに筑波大学山岳科学センターが発足しました。それに伴い菅平高原実験センターは菅平高原実験所に名称変更しました。 |
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